
富山県高岡市。これが私の生まれ故郷です。TVもない時代でしたが、自然に囲まれていたこともあって、遊びにはことかきませんでした。わんぱく坊主でした。海で一回、川で一回、死にかけています。父親の酒癖が悪く、母に手を上げたとき、みかねて殴りかかったこともありました。中学時代の話です。それから数年経って、父は蒸発。いまでも身勝手な父は許せません。
大きくなると、あれほど好きだった山や海や川に興味がなくなりました。代わりに、高校時代に出会ったボクシングにのめり込みます。なかなかスジが良かった。頑張ればプロボクサーになれるかもと、夢が膨らみます。それでも一旦は地元企業に就職しました。ですが、結局ボクサーになる夢が捨てきれず、飛び出してしまいました。いつまでも田舎で燻っていられるか。10代最後の賭け。母と弟を残し、かき集めた5万3000円を握り締めて、東京に向かう列車に飛び乗りました。
田舎もんの私に東京は未知の世界です。希望の光は、ボクシングのみでした。帝拳ジムの門を潜りました。トレーニングだけをしていればいいという身分ではありません。生活もしなくてはいけない。母の親戚を頼ってラーメン店で働かせてもらいました。店の営業は、夕方5時から深夜2時まで。トレーニングにうってつけに思えました。昼はジムで汗を流し、店が終わってから1人、真夜中のランニングに出発します。
半年経った頃、従業員が辞め、店がうまく回らなくなりました。お世話になっている以上、見過ごせません。次第にトレーニングより仕事の比重が重くなっていきました。夜中、一人になると、オレなにやっているんだろう。ボクサーになろうと思って上京したのに、なんでラーメン屋なんだって。やり場のない怒りと焦りが襲ってきます。そんなとき、店長まで突然いなくなりました。これが決定打です。彼に代って私が店長に。もう覚悟を決めるしかありませんでした。
プロボクサーになる夢を諦めたからには、仕事を極め、独立して経営者になるしかありません。とはいえ、突然の抜擢ですから経営のことはわかりません。できるのは、おいしいラーメンをつくることだけです。
さて、どうするか。悩んだ末の答えは単純でした。「おかしなことは辞めよう」です。というのも、当時は、頼まれればサンマは焼くわ、ボトルキープはするわ。ラーメン屋というよりも、居酒屋でした。常連のお客様にとっては居心地がよかったはずです。代わりに新規のお客様は、まずおみえになりません。
これは、おかしい。全部、ヤメだ。ラーメンと餃子だけ。サンマも、ボトルキープもNGだ。ラーメンを食べない常連客は、もう来なくていい。感情に流されたわけではありません。酒を飲むと、滞在時間が長くなる。当然、営業効率が下がります。それで、たむろする常連のお客様に、最後通告。明日からラーメン屋に戻りますから、と宣言しました。
店長になったとたん悩んだのはスタッフの採用でした。最初は、採用方法もわかりません。一計を案じ出し、田舎で別れた彼女をスカウトしました。「手伝ってくれないか」。それが結局、プロポーズの言葉になりました。妻の加入で店は賑やかになりました。2号店を出店した後、晴れて、田舎から母と弟を次々と呼び寄せ、昼間の営業も開始しました。大島ファミリーが集結しました。忙しくて家族だんらんとはいきませんが、家族の笑顔が何より励みになりました。
さて、妻を呼んでしばらくの時点では、すでに店長ではなく、店の経営を委託された店主になっていました。店の坪数はわずか7坪。それで35万円の日商を売上げたこともあります。月々、決められたロイヤリティを支払うのですが、あまりに繁盛しすぎてロイヤリティが月40万円にも達したほどです。
ともあれ、順風満帆。大島ファミリーは、小さなラーメン店で新たな船出を開始しました。




